継続

大きな事故にギリギリ巻き込まれなかったり、事故にあっても大したことがない被害者側であったり、不幸中の幸いということがあります。

その瞬間からしばらくの間は、よかったという思いを抱くかもしれませんが、それだけで終わってしまうのが常です。

なぜ、大変なことにはならなかったとしても、そういう状況に出会ったのかということまでは考えません。

考える方がおかしいのかもしれませんが(多数決で考えると確実に少数派ですよね)、考えなければならないのかもしれません。

つまり、そういうギリギリの状況や不幸中の幸いという出来事が、何かしらの警告である可能性もあるのです。

今回はこの程度で済んだけれど、次は危ないかもしれない、という怖い話です。

もちろん、全てがそうではありませんから、ビクビクすることはありません。

ただ、なぜなのか、という点は、人によっては考えるべきなのです。

どんな人が?

それが明確ではないため、少なからず「自分のこと」として聞いてほしいのです。

人の心というものは、いくら冷静であろう、正しくあろうとしても、その時々で変化するものです。

理想としては一定の心を持つべきであっても、そうはいかないのですから、仕方がないのです。

しかし、常に自分の心のあり方について考えることはできます。

今日の自分を振り返り、心のあり方、行動等を顧みることは誰にでもできるのです。

そういうことをすっかり忘れてしまっていると、考えさせようとする作用が働くことがあるのです。

その一例が、事故なのです。

心のあり方以外にも様々な要因によって事故は起こるものですが、少なくともギリギリセーフという場面に居合わせたからには、気を引き締める時なのです。

冷静さを意識し、小さなミスをしないように心掛け、小さな落とし穴に嵌らないように気をつけなければなりません。

さぁ、気を引き締めなおしていきましょう!

真実への扉は・・・本家にある

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